映画 実写版リトル・マーメイド(2023) 感想

映画 実写版リトル・マーメイド(2023) 感想映画

本記事は、【2023.8.1】にシティヘブンネットの写メ日記に掲載された映画「リトル・マーメイド」のネタバレ感想または考察を再掲したものです。

公開日: 2023年6月9日 (日本)
監督: ロブ・マーシャル
音楽: リン=マニュエル・ミランダ、 アラン・メンケン
原作: リトル・マーメイド、 人魚姫
撮影: ディオン・ビーブ
脚本: デヴィッド・マギー

あまり言いませんが、近年のディズニー映画には大変好感が持っていますし、ものすごく楽しみにしていたため、三連休最終日に劇場にて鑑賞しました。

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ディズニー及びマーベル映画は、極力イクスピアリで観るようにしています

以下は「実写版リトル・マーメイド(2023)」のネタバレに触れています。また、この映画に感動した!という人にとっては非常に不快な表現を含みますので、心配な方はブラウザバック。

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はじめにいうと、「お前らの覚悟はそんなものかよ、死ねばいいのに」です。すべてが中途半端でした。どこまでわざとやっているのかわからないのですが、この映画はシンプルに映画としての出来が良くないなと思いました。大好きな大衆エンタメミュージカル映画なのに寝かけました。

まず、シンプルに監督を間違えていたなという印象があります。

ロブ・マーシャルという監督は、過去に「メリー・ポピンズ2」や「シカゴ」等のミュージカル映画を撮っているため、なんとなく悪い印象は持っていなかったのですが、リトルマーメイド2を観て「いや、リトルマーメイド撮るのにこいつ全然ダメじゃん!」と気が付きました。

ミュージカル映画の中でも、歌=現実のスローモーション化(オペラっぽいといえばわかりやすいでしょうか)のものと、歌=非現実や内面世界のものがあるなと思いました。歌=非現実や内面世界の映画は、現代実写ミュージカルの多く、極端な例がダンサーインザダークなどかなと思います。メリーポピンズ2は割とこちら側の印象でした。

つまり、「リトル・マーメイド」というファンタジー映画に、比較的リアリズム寄りの監督を連れてきてしまっています。リトル・マーメイドはリアリズム映画になる可能性があったのでしょうか。

リブート前のリトル・マーメイド(1991年)は、アンデルセン原作の「人魚姫」というほの暗い童話をディズニーがアメリカンドリームディズニー毒素マシマシプリンセス物語にアダプテーションしたものです。
アンデルセンの原作での核となるのは、「好きな王子のために自分の住む世界を出るか否か」「王子を殺して生きるか自分が泡となるか」ということを、優しい人魚姫自身が選択していくところと、その人魚姫の選択の後の現実世界で読んでいる子供たちへの訴えかけにあります。
しかし、ディズニー版では「愛するもののために自分の住む世界を出るか否か」という尊い自己選択を「愚かにもアースラの陰謀にはまった結果」に陥れたり、自己選択の手助けをする立場の「魔女」を完全な悪者にしました。原作版の魔女は、妃と王子が結婚すると決まった後、「王子を殺せば姫は生き延びる」とナイフを届けてくれます。そこで「王子を殺して生きるか自分が泡となるか」という大きく美しい決断があります。
いわゆる”ポリティカル・コレクトネス”でいえばここに大きな問題がありました。ディズニー版のアリエルが、何かを主体的に選択し決断した瞬間は、なかったし、なんならアースラの魔法で「キスしなくてはいけない」というプレッシャーすらセバスチャンに背負わせています。ディズニーが”女性”にかけた呪いは本当に深い。何も選べない純粋なだけの女性像を、ここまでいい音楽で彩って世界に配布したわけです。

誤解のないように言うと、わたしは91年版リトルマーメイドに対して特に怒りは持っていません。素晴らしいミュージックビデオだなくらいにしか思っていません。part of your worldはアニメーション部分も含めて、まだ見ぬ世界へのキラキラした憧れを唄った名曲だと思います。今見てもワクワクした気持ちを思い出します。

少し脱線しましたが、今回わたしがディズニーに期待していたのは、「完璧なクオリティのミュージカル映画」か「過去にアースラ及びアリエルにかけた呪いを解く」ということです。どちらも適っていませんでした。

海の中でのシーンの殆どは、魚を実写にしたことで、実写版catsのように不気味の森に落ちていて、明度が足りず盛り上がりに欠けました。
魚類をリアルにしてしまうのなら、ディズニーがアリエルから奪った主体性を描くべきでした。もっとしっかり感情の機微を描くべきでした。じゃないと整合がとれない。アリエルが何を考えているのか全くわからないのに、魚だけは本当にリアルです。

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リアルフジツボが踊るところだけは良かった

アニメ版をただ実写で撮りなおして成立すると何故思ったのか。

もしも、リアルにしないのであれば、もっと映像マジックモリモリで、可愛くてポップな映画にすべきだったんです。スマホ再生用に寄り絵ばっかり作ってないで、空から空撮でドローンが海に飛び込むようなカットや、イルカに乗って海を飛び出したり、ファンタジーの融合した映像を作るべきでした。リアルヒトデが本当にヒトデの身体性をもってして踊る映像は、面白くなくはないけど、誰がリトル・マーメイドでそれをやれと言ったんだ、という感じです。

映画館から出たときは「なんだか、つまらなかったな」くらいの気持ちにしかならなかったし、こんなに書く気にもならなかったのですが、帰宅してから、悲しさと悔しさがこみ上げて少し泣きました。
アリエルはすごく可愛かったし、エリックも含めてみんなお芝居の上手な俳優さんでした。歌もすごく良かった。それなのに、この映画がシンプルに「ミュージカルとして盛り上がりに欠けてクソつまらなく仕上がっている」という事実。そして、この映画のクソつまらなさが、ハリー・ベイリー起用と結び付けて語られているということ、それら全てが苦しくなりました。

映画のつまらなさの原因は、人種ではなく、映画テイストのミスマッチから起こっているのに。(メリーポピンズ2はうまくいってたよね)

こんなんじゃ、実写版リトル・マーメイドは、”話題作りのために黒人を起用した”とか”ポリティカルコレクトネス考えすぎて映画をつまらなくしてる”と言われても仕方ないじゃん、どうして、もっと本気で楽しいものを作ってくれなかったんだろう、と思いました。
ディズニーはこの映画が公開されたらどうなるかわかっていたはずだろうと思いました。「ほら、みんながポリコレ言いすぎるとこういう映画しか見られなくなるよ?どう?」というためだけに、こんなクソつまらん映画を作ったのかとすら思いました。

問題は、ミュージカルの性質と監督のミスマッチだけではありません。今まで色んな映画で少しずつ過去にかけた呪いと向き合ってきたディズニーなのに、どうして人種だけクリアすればアダプテーションの問題から目を反らしていいと思ったのか本当に理解に苦しみます。「ラプンツェル」の時点で魔女の描き方はかなり革新的だったはずなのに、「マレフィセント」も作ったのに、「シュガーラッシュ:オンライン」というパーフェクト映画を作っていたのに、それらの気合はどうしたんだろう。ドブに捨てたんですか?やっぱりドブネズミだったんでしょうか。

人魚姫のミュージカルなんて、インド映画的な作りと相性がいいに決まってるんだから、ラージャマウリを連れてくれば良かったじゃんとか思い、泣きながら書いていたら3000字を超えてしまいました。

最後まで読んでくださってありがとうございました。


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