仕事がなく暇なので、人生初のアフィリエイト記事を書いてみようと思った。30を前にしてまだ新しいことに躊躇なく取り組めるのは自分のいいところだと思う。
アフィリエイトといっても、人生を振り返るジョーク記事なので、無理にここからものを買ったりしなくていいし、読み物として楽しんでもらえたら嬉しい。
ほぼ無職で迎えます、30歳
つい2週間前、風俗店を辞めた。
自分がほぼ無職で30歳を迎えることになるとは思っていなかった。
昨年11月頃、Twitterに懸垂の動画をあげてから、「相撲がしたい」「殴られたい」「抑え込まれて犯されたい」というお客さんが増えた。そしてわたしは「格闘プレイ」という単語に出会ってしまった。思えばそれをきっかけに、格闘技を習い始め、未経験素人10年目を継続できなくなり、2週間前、清楚系人妻(設定)でもいられなくなった。
暇が出来たもので、模様替えをして、自宅にミット打ちや倒立ができるスペースを作って過ごしている。
人妻店を辞めたのは、人妻店のスタッフに自身の顧客たちを馬鹿にされたからだった。合意の上での性癖の受け皿として機能するはずの風俗店のスタッフが、顧客の性癖を笑うのは、どうしても許せなかった。彼らは気持ち悪い人々ではなく、それぞれに名前があり、それぞれに好きなことがあり、もっといえば”変態”ではない(※”変態”と蔑まれて喜ぶかどうか、とは別の話)
3月にEveryThingEveryWhereAllAtOnceを見てからは、こんなときいつも、叫び続ける無限の可能性たちに思いを馳せている。
10代の頃、思い描いていた30歳像と大きく異なる年の積み方をしたと思う。
あの頃読んで憧れていた小説や、映画たちに思いを馳せて、「理想の30歳の暮らしの中にあったもの」を紹介したい。
30歳になったわたしが囲まれているはずだったもの
ライカのカメラ
小学生の頃から写真が大好きだった。祖父母の昔の写真や、今は親戚の叔父が金髪だったころの写真を見るのが好きだった。
5歳の誕生日に父が撮った写真がある。

suzuka 5歳
わたしは、5歳の誕生日にこの本を欲しがったらしい。貰った瞬間に大事に抱えて誰にも渡さなかったらしい。この写真にうつる本は、今でもわたしの部屋にある。わたしが覚えていない、この本が手元に来た時のことを、写真が記憶してくれている。
そういう、写真という媒体が自動的に持っている「タイムトラベル」の要素が好きだった。だから、リカちゃんポラロイドで家族や友人の写真ばかり撮っていた。

当時使っていたもの。このころはフィルムが1本200円、現像1本400円程度だった。
中学に入ってから、美術館に行くようになり、アンリ・カルティエ・ブレッソンの展示会に行った。衝撃を受けた。離れた世界の、赤の他人の人生が脳内に流れ込んできた。その時に「いつか、こんな写真を撮りたい」と思った。
中高時代は図書館と暗室を行き来した。制服からは薬品とカビの変な匂いがしていた。
アンリ・カルティエ・ブレッソンが使っていたのはライカのカメラだった。日本人なら、ちびまる子ちゃんに出てくる、たまちゃんのお父さんが使っている高いカメラ、というのが一番伝わりやすいかもしれない。「いつか持てたら」とずっと思っていた。
大人になってから夢を叶えて、ブライダルの会社で写真を撮ったりしていた時期もあった。今となってはたまに風俗の女の子たちの写メ日記や旅行の動画を撮る程度だけれど、たまにバルセロナの海でモデル撮影をしている自分を夢想することがある。
ピンクのテスタロッサ
大学生時代に入り浸っていた喫茶店に、漫画が置いてあった。タイトルや概要は思い出せないけれど、田舎から出てきた女の子がキャバレーで売れていき、ピンクのテスタロッサを貰う描写があった。それを見てから「ピンクのテスタロッサ」という言葉が頭から離れない。ピンクのテスタロッサに乗っていれば、ものすごくかっこいいんじゃないか、という気がずっとしている。
2020年、コロナを機に1度就職した。27歳風俗嬢が、手ぶらでいきなり就職も無理だろうと思って、気軽にとれる国家資格で検索し「宅地建物取引士」をとった。資格をとるときに、まったく業務をイメージできていなかったが、就職先は当然のように『不動産業』となった。
わたしが初めて『自分の車』として手にしたのは、愛知の小田舎の小さな不動産屋のロゴマークの入った白いミライースだった。
そのときふとピンクのテスタロッサのことを思い出し「不動産王になったら、ピンクのテスタロッサが手に入るかもしれない」とワクワクした。
ワクワクしたのもつかの間、宇宙で一番運転が簡単な車「ミライ―ス」を1年間で4度もぶつけ、大量の始末書を書いて退社することになった。
大体のことは努力と鍛錬で乗り越えてきた。
高校卒業時の体育の成績2から懸垂Yotuberになるなどの躍進を遂げてきたが、運転だけは無理だった。努力と鍛錬を積み切る前に死人が出ると判断し、東京に戻ってから殆ど運転をしていない。
(※わたしが読んだ漫画は小林まことの「へば!Helloちゃん」でした)
日光彫の箪笥
20歳の夏、両親と鬼怒川旅行にいった。
当時のわたしは「なにかをつくる」ということに執着していた。
写真を撮ったり大学で物語の研究をしたりするなかで、「写真も、物語も、そこにあるものを切り出す作業であり、自分の手で何かを生み出しているわけではない」ということを気にしていた。
大工、ガラス工芸、パン職人など0から1の手工程を見てはキラキラした目で眺め、口癖のように「弟子入りしたい」と言っていた。
鬼怒川で、日光彫の職人が、桜の細工をするところを見た。
仕上がった端正な箪笥を見て、本当に美しいと思った。やはり「弟子入りしたい」とも思った。
あの箪笥が欲しかった。
あの箪笥を手に入れるために必要なのは80万円ではなかった。あの箪笥が置けるくらいに広い部屋に住まなくてはいけないとすぐに気が付いた。ボロアパートの六畳間に巨大な桜の箪笥が置かれる様を想像する程度には、具体的に欲しがっていた。
あまりに美しい桜の箪笥への欲望と、手工芸への羨望がないまぜになって、帰りの車でずっと考えていた。
10年でずいぶん擦れた大人になったものだ。
もう、手工芸への羨望はない。綺麗だな、と思う程度だ。
今となっては懸垂器や映画やプロレスなど、他人のコンテンツにぶら下がることも気にならなくなった。先日ついに同業筋トレ仲間の伊織姐さんの顧客から、姐さんづてでプレゼントを貰ってしまい「ぶら下がり人生もここまで来たか」と思った。ここまで来たら才能だ、とも思った。本当にどうもありがとう。
シルクのネグリジェ
初めてティルダ・スウィントンを観たのは、映画「カラヴァッジオ」だった。
中性的な美しさと佇まいにたまらなく惹かれて、それ以来PCや携帯の待機画面はすべてティルダ様一色になった(なんと、10年近く経った今でも続いている)
憧れたもの、かっこいいと思ったものをすぐに真似しようとする悪癖があるため、すぐにモヒカンにした。20歳のわたしがショートカットになったのは、ティルダの影響だった。
なにかの折に、ティルダが個人的に持っている服についてのインタビュー記事を読んだ。
手持ちが少ないというような内容の記事だったと思う。少ない持ち服の中にシルクのネグリジェが入っていた。
それを読んで「シルクのネグリジェを着て寝ていれば、いつかティルダ・スウィントンになって目覚めることがあるかもしれない」と妄想するようになった。
ネグリジェくらい買えばいいじゃない、という簡単な話ではない。
わたしは、ここ20年、布団で寝ている。
布団は畳めるし、畳んだスーペースで筋トレをすることもできる。
従って、部屋選びの際も和室を好む。フローリングに布団を敷くとカビるからだ。今の家はフローリングのため、布団の下にゴザを敷いて生活している。
わたしがシルクのネグリジェを着て目覚めるのは、城東地区の畳のアパートでは意味がない、そう思って長年買うことが出来ずにいる。
城東地区の畳のアパートでシルクのネグリジェで目覚めるシーンの主演女優はおそらくティルダではない。蜷川実花とか園子温が撮っていそうな風俗嬢そのものじゃないか。せめて溝口健二にしてほしい。
バーバリーのトレンチコート
小さいころから映画「メリー・ポピンズ」が好きだった。現実社会の様々な不条理と折り合いをつけるための、小さな魔法たちが好きだった。薬の苦さは消えなくても、ひとさじの砂糖と一緒に飲み込むという逞しさに、今でも勇気を貰っている。
メリー・ポピンズの影響で、ファッション的にもトラッドなロンドンスタイルを好むようになった。元来背が低い上に、懸垂をしすぎて、身長に対しての肩幅が殆ど合わない。バーバリーやスキュータム等の憧れのブランドは、値段以前に袖を通すことすらかなわない。イギリス人女性はダンベルを持たないのか?
結局最近はGuessやDiselなどの対極な服ばかり着ている(なぜなら、肩が入るから)
因みにわたしが今着ているのは、5年ほど前に買ったfintのケープ付きコートで、これもメリーポピンズっぽいからという理由で買った(※同商品がなかったため、画像はイメージです)
ゲランの香水
ここまで色々書いたけれど、唯一、現実に持っているものが「ゲランの香水」だ。
今は”Cuir Beluga”という香りを使っている。昨年船橋の店で2位をとった折、勢いで買った。勢いで買ってよかったものだった。吹き付けるだけで「わたしは美女」という錯覚に陥る。
ここまで、わたしの欲しいものは概ね物欲ではない。”そういった生活に憧れる”的なライフスタイルを欲したものだ。
香水だけは別だ。
脳が沸き立つ。気が狂うほど甘い、レベルを超越した香り。そして場所をとらない、身につけた瞬間に憧れのティルダに一歩近づく(気のせいではなく、本当に近づいている、嗅げばわかる!!!)
難点としては、ゲランの香水はamazonや楽天で殆ど取り扱いがなく、ゲランのオンラインストアで買う必要がある。よってそもそもアフィリエイト記事で一番推していい商品ではない。だけど、どうしても言いたい。
香水は他のものとは違って、たったの数万円で望む幸せが手に入る、コスパのいい商品だ。
↑最近ハマってサンプルを一生嗅いでいるキリアンの「エンジェルズ・シェア」
本当に天使がこぼした涙か?というくらいいい匂いがする。「美貌そのものがブランデーを差し出してくる」みたいな匂いがする。意味が分からない。脳が沸く。男女問わずつけられるので香水に迷っている人は全員買え。ちなみに、実店舗では関東だと三越(日本橋)くらいでしか嗅げない。
どうしても気になる人は、各種フリマサイトでサンプル量り売り転売ヤ―が数千円で扱っているので買ってみるといいかもしれない。
終わりに
色んな選ばなかった人生に思いを馳せながら、欲しかったものたちのことを書いていたら、思いがけずに元気が出た。
先日、実家を訪ねた折に10歳前後のわたしが書いた作文が出てきた。「将来は作家になりたいけれど、なれなくてもたぶん楽しい」と書かれていて可笑しかった。先見の明があるんだか、ないんだか。
もうすぐ30歳になる。
わたしは作家にも、ちゃんとしたカメラマンにも、学校の先生にも、現時点ではなっていない(これからなる可能性はまだある)
ピンクのテスタロッサは来なかった。
筋力的に逞しい風俗嬢となり、可愛いお客さんたちと、相撲をとったり締め技をかけたりしている。
こんなわたしを支えてくれたり、構ってくれる友人たちや顧客に囲まれ、確かに、間違いなく「楽しい」よ。20年前に描いたヴィジョンは手に入っていたのかもしれない。